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人事のすがお

人事インタビュー「人事のすがお」vol.2

  • 小島 豪洋 様

    1962年6月生まれ(59歳)。

    1985年立教大学社会学部卒業、千代田火災海上保険(当時)に入社。

    その後数社の経験を経て、現在、IT業界にて勤務中。

    趣味は軽登山と旅。日常的には、友人・知人との飲食が趣味。東京都国分寺市在住。

    ※このインタビューは、第一環境株式会社にご在籍中の2022年2月に実施致しました。

  • 人事インタビュー「人事のすがお」vol.2
四分一:最初に、人事歴を含め小島様のご経歴をお聞かせください。
小島:

◆ 1985年 大学卒業後、新卒で損害保険会社の営業に

1985年に大学を卒業して、最初は営業をやりたかったんですね。当時、営業で給与水準が高いところということで、まず損害保険会社に就職しました。しかし、損害保険は主に代理店を通じて営業活動をするので、自分で売り歩く営業という感じではなかったんです。であるならば、もっと本格的に人と接する人事や採用の仕事をやってみたいなという気になりまして、4年間保険会社で営業をやった後、社会人5年目になる1989年に転職しました。

◆ 1989年 横河ヒューレット・パッカード(当時)に入社、人事のキャリアをスタート

その頃は求人媒体といえば、Bingと共にまだ新聞広告も活発でした。ある日日経新聞の求人広告で、横河ヒューレット・パッカード(当時)が募集していたのを見て、今と違って郵便でのやり取りで応募したんですが、「人事の中でも採用をやりたい」と役員面接でわがままを申し上げました(笑)。
結果的には採用チームで引き取って頂くことになり、ITも人事も採用も全くわからなかった私でしたが、そこが人事系のキャリアのスタートとなりました。結局、通算12年弱在籍したのですが、その間徐々にHPの資本比率が高くなり、1999年に日本ヒューレット・パッカード株式会社になりました。最後はHPのコンピュータ分野と計測器分野のアジレント・テクノロジーが企業分割し、私はアジレント・テクノロジーに所属することになりました。それがちょうど2000年頃だったと記憶しています。

◆ 2000年 ITベンチャーのカリスマ経営者と運命的な出会い

その頃、たまたまある人から「ITベンチャーの若手創業者に会ってみないか」と声をかけて頂いて、当時100人ぐらいの規模だったワークスアプリケーションズの元CEO牧野さん(当時は副社長)にお会いすることになりました。その時の率直な感想は「100人ぐらいの規模の会社で、よく世界を相手にした話ができるな」と。しかし、お話を聞くうちに、牧野さんは自分と同級生だとわかり、「自分と同級生でこんなに雄弁に物事を語る人がいるんだ」と、彼の人としての魅力に惹かれてゆき、結局ワークスアプリケーションズに入社することになりました。私が入社した時に従業員数は120名ぐらい、1年後にジャスダック上場を控えており、1人ぐらい人事の専任者を置こうという時期でした。その後、一旦抜けた時期はありましたが、2019年まで18年間在籍しました。

◆ 2019年 第一環境株式会社に

ワークスを退社した後、HP時代の上司の誘いで、全く風土が真逆の第一環境株式会社にご縁を頂いて、今3年目になります。
四分一:アジレント・テクノロジーさん時代に牧野さんを紹介されたというのは、ヘッドハンティングみたいな感じだったのですか?
小島:当時、グロービスがエイパックス・グロービスというファンドを持っていたんですね。その1号ファンドがワークスに投資していたんです。正確に言うと、牧野さんが人事を採用したいというより、グロービスが「ジャスダック公開を予定しているのに人事の専任もいないとは!」という話で動き出したのではないでしょうか(笑)。
四分一:ワークスアプリケーションズさんには従業員数120名ぐらいの時に入社し、ピーク時は何名ぐらいだったんですか?
小島:海外法人の社員も含めると、5,500名前後だったかと思います。ワークスアプリケーションズが100名ちょっとの頃から、急激に大きくなり、踊り場を迎え、その後いくつかの会社に分割していくまで、人事としての経験を積ませていただきました。実際は、分社化する一歩手前で、たまたまHP時代の上司が声をかけてくれ、思い切って次に移ったという感じでしょうか。
四分一:小島さんの人事のスタートは採用から入ったと伺いましたが、その後どういうふうに広げられていったんでしょうか。
小島:HPは大きな組織の下の人事部門(事業部、戦略人事)があり、一度そちらに移ったんですが、やっぱり私が採用をやりたいという思いと、HP自体も理工系、特に電子・電気系の学生の採用に苦戦していて、再度採用に戻ることができました。HP時代はトータルすると、ほぼ採用に携わっていましたね。
四分一:その後、ワークスさんに移られて、人事という組織を1人で作りながら上場を目指す…それって、どんな感じだったんでしょう?
小島:正直に言うと、何か綺麗な絵を描いてそれに基づいて進んでいったというより、もう、日々夢中でしたね。
四分一:すごいスピードで人も増えていくわけですよね。
小島:そうですね、なんと言っても、先ほども申し上げた通り、牧野さんがいつも大きな話をするので、それに追いついていくので必死でした(笑)。大きな絵は牧野さんが描いて、人事としてどうしたらいいかといった実務的な部分を追いかけていったという感じでしょうか。
四分一:私もベンチャー企業の人事を経験していますが、トップのスピード感って並大抵じゃないじゃないですか。もうヘトヘトになるというか、着いて行けなーいということはなかったですか?(笑)
小島:ありましたね(笑)。四分一さんには飲んだ時に話していますが、トップの思い描いていることに、自分自身が追いついていないなという…。そのタイミングで、たまたまデロイトトーマツのオファーがあって、短期間ですが在籍することになりました。その時は正直言って、どうしてもデロイトに行きたいというよりは、牧野さんの期待に応えきれていないという、如何ともし難い心境での転職でしたね。
四分一:そんな小島さんは、人事としての幅広いネットワークをお持ちで、私から見て「日本一人事担当を知っている人事担当」だと思ってるんですが、そのきっかけは何だったのですか?
小島:先ほどの話の延長になりますが、ヘトヘトになってワークスを一旦辞める前、終電まで働いてまた早朝出かけるという日々の繰り返しで、お酒を飲むという発想も余裕も全くなくなっていたんですね。またワークスに戻ってから、それまでは人事全般を担当していたんですが、採用以外の人事業務と総務をやることになって、社内の風土はそうそう変わっていなかったので、ちょっと外を見てみようかなという気になりました。直接のきっかけになったのは当時、エージェントさんなどが無料で人事担当者の勉強会をやっていて、その後参加者と話ができる場を設けてくれていたという集まりですね。そういう場がいくつもあって、勉強会終了後の懇親会も積極的に参加していました。その頃のワークスは「働き甲斐のある会社」ランキングで上位に入っていましたので、私が発表者になることもあり、参加者の方々との親睦も深めていました。そういうことがいくつか重なっていましたね。

(事務局補足:小島様は、2013年11月7日、人事プロデューサークラブ第55回事例研究会でも、「働きがいのある会社の人事担当者が語る働きがいをささえる興奮するフィールドとは」というテーマでご登壇いただいております)

そのような場で知り合いになった方から、「今度別の機会にじっくり話をしませんか?」などお声をかけて頂くようになり、そうした輪が徐々に広がっていったという感じです。
四分一:コロナ前で一番そういった機会が多かった時期、どれぐらいの頻度で開催されていたんでしょう?
小島:そうですね、週に3~4回というペースでやっていましたね。
四分一:1回あたりの参加人数はどれぐらいでしたか?
小島:大体4~5人で、多い時には十数人だったり、立食形式も何回かやりましたね。コロナがまん延するまでは、しょっちゅう誰かに声をかけて、人事飲み会をセッティングするということをやっていて、そのうち、「こういう分野の人事の人に会えないか」という依頼も来るようになりました(笑)。
四分一:小島さんがそうした交流をずっと継続されてきて、振り返って何か感じることはありますでしょうか?
小島:私はそれを商売でやっていたわけではなく単に好きでやっていたので(笑)、だからこそ参加した皆さんは結構本音で語ってくれたんじゃないかなって気がしています。なかなか人事って、本音で語れる場が少ないじゃないですか。さすがに個人情報漏えいはまずいですが、差し障りないラインでの「ここだけの話」も含めて、「実はこんなことで困っている」という点など、皆さん共通する悩みを持ってるんだなということがわかりました。また、そこまでざっくばらんに話ができるようになると、今度は人事担当者同士というより、だんだん友達のようになってきて、そういうつながりの人たちとは逆に人事の話をしなくなりました(笑)。社会人というのは、お互いの立場や思惑などもあり、なかなか本音で語れる場がなかったり、他人に弱みを見せたりすることがないものですが、人事同士の交流から始まり、そういう仲間を作ることができたのは良かったですね。
四分一:私も何度か参加させて頂いて、そこから非常に多くのつながりをいただきました。ありがとうございます。では、今後、小島さんが定年を迎えられた後、仕事についてどのようにお考えなのかお聞かせください。
小島:今年の6月に60歳になります。今後の目標ですが、できれば面接や面談という形で、何か人と関わりながらの仕事を続けていきたいと思っています。具体的には、これまでの私の経験から、今後そのような分野での活躍を目指す人事の皆さんの手助けになるようなことをしていきたいですね。
四分一:では、小島さんから、人事の後輩に向けてのアドバイスやメッセージなどありましたらお願いします。
小島:今、「戦略人事」という言葉がかなり一般的になってきていますが、人事とは、「何かルールを守らせるとかルールを作るとか」というより、「経営者をいかに支えるか」というビジネス的視点が必要で、ヒト・モノ・カネのヒトの部分で大きく経営の一翼を担っていく役割だと思っています。なので、できる限りフレキシブルに、その時々の世の中の状況・環境に応じて経営者の意を汲み、考えて動けるかどうかが益々重視されてくるのではないでしょうか。ベンチャーと違って大きい組織の企業の人事の方は、なかなかその実感が湧かないかも知れませんが、そういった部分をポイントにして頂ければと思います。私自身、大手企業のことはあまり語れませんが、ベンチャーで成長期にあり、いろいろ手を付けなければいけない課題があるといった企業の人事の方で、何か悩みや相談したいことをお持ちの方がいらっしゃったら、ちょっとしたヒントなどお伝えできるかも知れませんので、お気軽にお声をかけてください。
四分一:ありがとうございます! 最後に、そんな小島さんの座右の銘をお聞かせください。
小島:「努力は叶う」でしょうか。何でも本気でやらないと、見えてくるものも見えて来ないと思っています。
四分一:なるほど、今日はありがとうございました!
小島:また、コロナが落ちついたら、リアルでの飲み会をやりましょう!