Personnel Position
人事のすがお
人事インタビュー「人事のすがお」vol.8
トイトイ合同会社
CEO 永島 寛之様
大学にてマーケティングと産業組織論を学んだのち、東レおよびソニーにて海外事業の新規市場開拓に従事。
米国駐在(ソニーUSA)を経て、ニトリホールディングスに入社。
似鳥昭雄会長元で組織・人事責任者として、タレントマネジメントの観点から、採用、育成、人事制度改革を指揮。
その後、再生エネルギー発電所開発のレノバ(東証プライム)にて、執行役員/CHROとして中長期の事業戦略と連動した組織・人材戦略の立案と人事施策実行を担い、世界のエネルギー変革のリーダー(グリーン人材)の育成に注力。
2023年2月にトイトイ合同会社を創立。複数の企業の経営者の元で「個人の成長」を起点とした未来組織開発を支援している。
[ 取材: 2023年12月 ]
四分一:今日は、永島さんの少年時代のお話からうかがっていこうと思います。確か、海外にもいらっしゃったんですよね? |
永島:そうですね。父親の社内留学に帯同する形で、小学校低学年の頃2年間ピッツバーグ(米国ペンシルベニア州南西部)に住んでいました。何となく自分の原体験がそこにあるような気がしているんです。そこでは、机と椅子に座って何かを勉強したというよりは、車座になっていろんなことを話し合うという授業だったんですね。なので、日本の学校に戻ってからが結構大変でした。自由にしゃべらせてもらえず、椅子に座ってなきゃいけないスタイルが合わなくて…。よく先生に注意されていました。「ちゃんと座ってなさい!」とか「おしゃべりはやめなさい!」とか(笑)。今も変わっていないですが…。 |
四分一:その年齢の頃にアメリカにいらしたということは、英語はもう…。 |
永島:はい、その頃はほぼネイティブみたいな感じだったみたいです。親もびっくりしてました(笑)。私は目上の人や先生とも自由に意見を述べあったり、学校でも自分の好きなことをさせてもらえる環境で育ったので、日本の小学校が退屈で仕方なかったです。日本に帰国後もフラットに意見を言い合うコミュニケーションスタイルを変えられず、若い頃はとても苦労しました。今も年齢や役職はほとんど意識していないのです。 |
四分一:中学や高校時代に何か夢中になったことってありますか? |
永島:中学高校は一貫校だったんですが、あまり部活に入るっていうイメージが湧かなかったですね。入学するとみんなやりたい部活に入るって流れになるかと思うんですが、上下関係みたいなものに馴染めそうもないなと感じていました。なんで「先輩」ってこんなに威張っているのだろうか?と不思議に思っていました。ずっと野球は好きで週1で草野球をやったりしてたんです。でも、中学で野球部に入って何かを目指すって考えにはならなかったですね…。友人に誘われて卓球部に入ったりはしましたけど、あんまり一生懸命やった記憶がないです(笑)。本当は「子供の頃は朝から晩まで野球に明け暮れてました!」とか言いたいところなんですが(笑)。 あ、そうだ、中高時代は本ばっかり読んでいましたね。 |
四分一:元々読書はお好きだったんですか? |
永島:通っていた学校は、変わった先生が多い学校で、当時、「全共闘崩れ」みたいな先生が何人かいらっしゃって、いろいろな思想を学ばせていただきました。ある先生は、やたら「蟹工船」を読ませてその感想文を書かせたり、スタインベックの「怒りの葡萄」を強く薦めてくる先生とか。教科書はほとんど使わず、他の先生方とは違った何かを教えてくれる、そういった先生が好きでした。なので、成績はバラツキがあって、自分が「面白いな」と思う先生の科目は10段階で10なのに、「考え方や公式は面白いけど、問題を解くのは退屈」って感じたらある時から数学が全然できなくなったり(笑)。当時から大学の授業みたいに「この科目は面白いから単位を取りに行こう」って感じで捉えていたかも知れないです。 |
四分一:なかなかユニークな学校ですね。 |
永島:こんな性格だったら普通は友達なんかできないはずなのに(笑)、僕が6年間通った学校は、そういうちょっと変わった生徒も受け入れてくれる校風の学校でした。帰国子女の学生も多かったです。家が裕福で育ちの良い子が多かったからか、「変わっている」とか「人と違う」ということを、暖かく認めてくれたことに感謝しています。 |
四分一:その頃読まれた本のジャンルは? |
永島:哲学書やロシア文学が多かったですね。トルストイやドストエフスキーとか。でも、僕のバイブルは太宰治ですかね。本屋さんにもよく通いました。野球部やラグビー部の部員が何かを目指して必死で頑張っている姿を見ながら、そういうど真ん中やマジョリティにいることは楽しいんだろうな…って思いながら、まあいつかはそういう日も来るのかもしれないと思いつつ、僕はあまりそこにはこだわっていなかったですね。近所のおっちゃんと草野球をしながら、「どう生きるか」の話をしたり(笑)。 |
四分一:その後、大学はどちらに? |
永島:通っていた学校は付属の大学にほぼ全員が進めるシステムだったのですが、当時の僕は成績が悪くてそれも難しいと言われ(笑)、高校3年生から受験勉強を始め、浪人しながら大学は早稲田に進みました。本当は文学部にすごく行きたくて、何校か文学部に受かっていたんですが、文学部出身だった母から「文学部は就職率が悪いわよ」と言われ、結局早稲田の商学部を選択しました。 |
四分一:早稲田での学生時代はどんな感じでしたか? |
永島:大学では一転して、スキーのサークルに入りました。やっぱりそういうの、憧れがあったんでしょうね、高校の時にいいなと思っていた世界に入っていきました(笑)。3年の時はサークルの幹事長もやりました。あとは、海外旅行が好きになって、大学時代30ヶ国ぐらい回りました。 |
四分一:それはすごいですね! |
永島:陸路で国境を越えるというのがすごく好きで、国境体験のために海外旅行をしていたように思います。日本って島国なので、国境ってないじゃないですか。国によって国民性や文化は固有のものを持つと思うのですが、国境付近は、それがごちゃ混ぜになっているんですよね。そして、国境付近はビジネスチャンスも多い。両替商や商売人、ちょっと悪そうな人などが沢山いて、異様な活気があるんですよ。ビジネスでも、業界の「境目」にチャンスがあると言いますが、まさにそれを五感で体験できるのが、国境だったりします。今も「境目」は大好きです。 |
四分一:アルバイトは何かやられていましたか? |
永島:あまり定職っぽくバイト先を決めず、放送局でバイトしたり、朝日新聞社に行ったり、レストランやハンバーガーショップだったり、「長続きしない」ということを肯定的に捉えていましたね。タイミーなどで話題になっているスキマバイトというのが当時あれば、ヘビーユーザーになっていたと思います。 |
四分一:なるほど、好奇心旺盛なんですね! |
永島:好奇心旺盛と言いつつ、実は飽きっぽいところがあるんですよね(笑)。多動的な部分もちょっとあるかも。中高時代は「考える時間」が多かった自分が、大学に入って「あれもやっていいんだ、これもやっていいんだ」と、逆にどんどん動いていくようになりました。 |
四分一:実際訪問された30ヶ国の中で、特に印象に残っている国はありますか? |
永島:2ヶ所あるんですが、1つはラテンアメリカですね。キューバ、アルゼンチン、ブラジル、パラグアイ…あのあたりを回ったことがありました。ラテンアメリカって実際「どんなところなんだろう」って思ったのが、訪問のきっかけでした。当時キューバにリナレスっていう野球選手がいて、見に行きたかったんですが、「あそこにいるよ」って適当に言われて行ってみても全然いないとか(笑)。でも、ラテンアメリカはどこも熱気があって人が良くて、日本とだいぶ違うなというのが印象的でした。すごく感じたのは、そんなに裕福には見えないのに、みんなこんなに楽しく生活してるんだ、と。 |
四分一:ああ、なんかイメージ的にそんな雰囲気ありますよね、サッカーの応援とか。 |
永島:それともう1つはアフリカですね。卒業旅行でジンバブエ、ケニア、タンザニアを回り、その時キリマンジャロに登ったんです。大学の先輩に誘われたんですが、なぜかニューバランスのスニーカーで行ってしまって(笑)。最初は10人ぐらいのグループだったんですが、高山病になってだんだん人が欠けていくんです。大学時代やってたのはスキーという個人競技だったので、初めてそこで「仲間と励まし合う」って体験をしました。徐々に離脱していく仲間のために頑張るとか、体調が悪くなった人のケアをしたり。チームで何かを目指すという貴重な経験をキリマンジャロですることができました。 |
四分一:山頂まで行ったんですか? |
永島:そうですね。山頂まで行けるコースがあって、観光で行く人も多いんです。かなりきつくてメンバーは最後半分ぐらいになったんですが、特にトレーニングしてない人間が10人中5人ぐらいは登頂できました。 |
四分一:何日ぐらいの行程で? |
永島:10日間ぐらいですね。一般の登山者にも開放されているコースです。 |
四分一:その後、就職され、まずは東レさんに入られるんですよね。仕事をすることについて、どんなふうに考えていらしたんですか? |
永島:大学時代のゼミが、環境問題を扱うゼミだったんです。それは後々レノバに入るベースになっているかも知れません。環境問題で自然を保全していくということがちょうど言われ始めた頃でした。そこで、化学(ケミカル)の力ってそういうところで生きるんじゃないかなと思ったんです。実はそこに至る前、プロジェクトファイナンスの話なんかを聞いて「銀行に行きたいな」という気持ちもあっていくつかメガバンクを受けたんですが、軒並み落ちちゃったんです(笑)。「やっぱり向いてないんだな」「見抜かれたな」と思いましたね。もし入ったとしても途中でギブアップするか追い出されていたでしょうね。ということで、いろいろな仕事ができそうなメーカーで、グローバルに展開している東レを選びました。 |
四分一:東レさんには何年ぐらいいらっしゃったんですか? |
永島:10年ぐらい在籍しました。東レでは結構落ち着いて仕事をしていました。 |
四分一:その時はもう人事に? |
永島:いえ、その時は全く関わっていなかったですね。国内の営業から海外の営業に移って、国内/海外半々ぐらいでケミカル商品を販売していました。ただ、「化学の力で環境を変えたい」という意識を持って入社したんですが、最終顧客の前で仕事が完結しがちなBtoBの世界にあまり手応えを感じられなくなって…。社会の中で何かを変えたっていう実感が欲しくなったんです。東レでは10年間で新規事業などいろんなことを経験させていただけたんですが、この先の社会や将来を体感したくなって転職を決意しました。 |
四分一:そして、ソニーさんに移られるんですね 。 |
永島:元々ソニーの商品が好きで、ソニーという会社にも興味がありました。新卒の就活の時も考えてはいたんですが、ソニーのエントリーシートって「自由に書いて下さい」っていう真っ白な形式で。30年前からそんなことをやっていたソニーってすごいなと思うんですが、いろいろ考えているうちに書けなくなって、締切に間に合わなくて…(笑)。当時の自分にとっては高嶺の花みたいな存在でした。 |
四分一:ソニーさんではどんなお仕事を? |
永島:ソニーでも、海外国内含め営業を担当していたんですが、30代の終わり頃、マイアミに出向することになりました。そこで初めて「チームを率いる」という経験をしました。あのキリマンジャロの経験はあるにせよ、それまで仕事では比較的1人で物事を進めることが多かったんです。でも海外で初めてできた部下は「5年後、10年後の事業の想定とそのために自分に求める役割は何か?」って個人の成長環境も求めてくるし、そういう問いに対してフィードバックを適当に行おうとすると、ダメでしたね。チームを動かすことの難しさを学びました。部下はコロンビア、メキシコ、アルゼンチンなど10ヶ国ぐらいの人がいて、アメリカ国籍を持っている人/持っていない人などバックグラウンドも様々で、チームマネジメントがすごく難しいなと感じたのはそういった部分です。仕事面では「どうしたらチーム運営はうまくいくんだろう?」っていう問いに対してずーっと悩みながらの2年間でした。救いとなったのは、チームメンバーの明るさでしたね。頼りない上司でも、一生懸命考えているのは理解してくれていて、成果は出してくれました。チームマネジメントとは、うまくいっている実感がなくても、諦めずに一つ一つ積み上げいくことが大事だなと学びました。 |
四分一:なるほど。マイアミ時代、何か転機はありましたか? |
永島:その時はゼネラルマネージャーという立場だったんですが、ふと「この肩書がなくなったら、自分には何も残らないな」と感じたことがありました。よくある「役職定年後に目的を失う」という将来が30代にして少し見えたのもこの頃でした。仕事は楽しいし、好きなソニーだし、海外の経験もマネジメントの経験もさせてもらってるし、何となく「こんなことしたいな」と思っていたところまで来てしまった時、もしかして、ここじゃなかったかもしれない?って感覚になりました。営業の実績も悪くはなかったのに、なんだかしっくりこない感じがありました。 |
四分一:それで、次のニトリさんへ… |
永島:そうですね。ちょうどニトリがグローバルに出て行こうというタイミングでした。海外(アメリカ)の事業をやるから…というところから話が来まして、「一時帰国の時に面談しませんか?」って声をかけていただいて、年末に帰国したタイミングで面談に行きました。「まず誰と会うのか」という情報がないまま出かけ、テストを受け、人事部長の話を聞き、「ちょっと上の人に会って下さい。面談時間は50分です」と言われ、待機していたところ出てきたのが似鳥会長(当時は社長)でした。そこで「ああ、まずい!50分間どうしよう…」と思いました。事前にニトリからいろいろ資料や社長の書籍など送られてきていたんですが、飛行機の中で軽く目を通しただけで、ちゃんと読んでいないし…。しかし終わってみたら、50分のうち45分は似鳥さんがしゃべってくれました (笑)。ニトリ立ち上げの頃の話から始まって、ニトリのロマンとビジョン、将来はどういう会社にしていきたいとか、すごいパワーで45分延々とお話された後、「ところで、永島さん、あまりしゃべってないね!おとなしいね!」って(笑)。 |
四分一:(爆笑) |
永島:「そ、そうですね、すみません」って言ったら、「もう時間ないけど、なんかある?」って(笑)。そこで、最後に「最近、自分でやりたいと思っていたことができてしまって、逆に、これから何を目標にすべきかわからなくなっています。何のために働くのでしょうか?」ってお聞きしました。その時、自分は今まで「何のために働くか」って考えたことがなかったなと気付きました。夢のようなマイアミ生活の中で、思考停止に近かったような…。 |
四分一:なるほど。 |
永島:そしたら似鳥さん、「あなた、40歳にもなってそんなのもわかんないの?」って。「ニトリの社員なら、入社して3年目くらいには全員が自分のロマンとビジョンを持って働いているんだよ。難しく考えすぎないで、― 世のため人のため働く ― それだけでいいんだよ。人はそのために生まれて来るんだから」って言われました(笑)。更に「世の中の暮らしを豊かにすることを考えていれば十分。ニトリに来てもう1回学び直すといいよ」って言われて、面接が終わりました(笑)。 |
四分一:(再び爆笑) |
永島:もちろん手応えはなく、「いい話が聴けたし、もういいか」って帰宅したのですが、その日の夕方に人事の方から「ソニー出身の役員を呼ぶので、食事でもいかがですか?」って電話をいただいて、そこで条件提示もいただけました。小売業の経験もなく、特別なスキルもない自分をポテンシャルだけで採用してくれるのかと驚きました。今の僕の根幹となっている「人は社会のために働く」「社会のために働くと成長実感を得られる」という考え方を、ニトリで学ぶことができました。 |
四分一:ニトリさんですと、まずは店舗の経験から入るんですか? |
永島:はい、トラックからの荷物の積み下ろしや、品出しなどを半年にわたって担当しました。若い店長よりも説得力があるということで、重めのクレーム対応もこなしていました。店舗経験は1年以内と聞いていたのですが、人事面談で「店長までやりたいです!」と本心ではないことを言ってしまい、結果として、2年ぐらいかけて店長まで昇進してしまいました。のちに人事責任者になることを考えれば、店長の経験は良かったのですが、とても大変でした。ニトリでは、幹部候補生も本部在籍期間が長くなると店舗勤務に戻るルールがあり、そういう優秀な社員の方と店舗で一緒に仕事をすることができて、これは非常に勉強になりましたね。その後中国の総経理(事務局注:「総経理」とは、中国の企業における社長と同じ意味合いのポジションを指す)になった人など、人として尊敬できる方が多く輩出される人材育成の仕組みがある会社なんだと思ったものです。 |
四分一:人事に進まれたのは、永島さんの希望からだったんですか? |
永島:ソニーのマイアミ時代にチームマネジメントで苦労した経験や、ニトリ入社後も店長として組織を回していく難しさを感じていたんですが、ニトリでは組織の中で人を成長させる仕組みがあるんです。そこをもう少し勉強してみたいなと思ったのと、当時のニトリは、オペレーションを担当する優秀な若手社員を、本部の経営企画やデジタルなどの難易度の高い業務に人をトランスフォームして行かないといけないという新しい課題がありました。それも、中途採用ではなく、現場を経験して商品と顧客を理解している社員が本部を運営していくという考え方がベースにあることに興味をもち、社会人になって初めて人事業務をやってみたいと思いました。やっぱり、事業を伸ばすのは人であり、大切なのは人と組織の成長なんだと、組織やチームの重要性に気がつくことができた頃でした。 |
四分一:なるほど、ちょうどそういう時期だったんですね。 |
永島:ニトリはやれる人よりもやりたい人にその仕事を任せる会社なので、「人事の仕事に興味がある」と話をしたら、新卒採用のマネージャーという仕事をいきなり仰せつかりました。外部から中途で入ってきて、現場を2年やっただけの人間に、400~500名の新卒採用の最終面談を担当させるという意思決定に驚きましたし、期待に応えないとなと強く思った記憶があります。 |
四分一:人事に異動されてからは、どんな施策を? |
永島:新卒採用では、採用戦略を大幅に見直しました。採用したい人材像を明確にして、個人に向き合う採用フローを設計したり、システムを入れ替えてデータを活用した科学的な採用手法を導入するなど、過去にマーケティングで培った視点で業務を行いました。 例えば、データを分析して、自社が求める人材がナビサイトからは採用しづらくなってきていることがわかって、当時はまだ珍しかったスカウト採用やカフェ採用に挑戦したり、個人の価値観に向き合える選考フローを設計したり、インターンシップこそが、企業ブランドを高め採用につなげる近道だと捉え、日本で一番人気があるインターンシップを目指して採用リソースの配分を思い切って3倍にしたり、いずれも大きな成果を出すことができました。 個人的にも、「採用×マーケティング」といったテーマで取材を受けたり、登壇の機会をいただくようになりました。そんな中、人事として当たり前として毎年繰り返されていることが、実は違っていることが多いと気づきました。自身が採用した人材や、社内の優秀な人材をさらに育成していくために、人材育成やタレントマネジメントを志すようになりました。 |
四分一:そして、どんどん領域が広がっていって、人事の責任者に… |
永島:そうですね。業務の傍ら人事の勉強をしつつ、人材開発や組織開発の担当を経て人事の責任者になりました。 |
四分一:ニトリさんから、次のレノバさんに転職されたきっかけは? |
永島:全国展開の店舗型の小売業として、コロナ禍の期間を走り抜けるのも大きなチャレンジでした。しかし、従業員の頑張りで結果として会社としては過去最高益を出すことができて、そこが1つの区切りかなと感じていました。育成主体のタレントマネジメントのシステムが完成し、人事制度改革と組織改革を推進して、旧来の人事をがらっと変える仕組みができたなという実感があって。その時に、もう1つ「社会課題の解決」という視点で、別のことにコミットしてみたいという気持ちになりました。それで、レノバに転職をしました。 |
四分一:レノバさんでは、どのようなことを? |
永島:地球環境の保全のためにカーボンニュートラル、脱炭素社会を実現するためには、再生エネルギーの比率を高めていく必要があり、レノバは再生エネルギー発電所の開発会社として、日本では中心的な存在です。創業者であるレノバの木南社長とお会いする機会があり、環境問題という、学生時代の想いがよみがえり、取り組んでみたいと思ったのが、レノバに入社したきっかけです。 レノバでは、CHROとして、組織開発と人材開発を担当しました。事業の成長とともに急拡大して機動性を失っていた組織の再構築と、新たな分野における組織と人材の採用と育成がメインの取り組みでした。 入社したタイミングで、大きな事業転換があり、事業と組織の再構築を他の幹部と日夜議論しながら進めていました。僕にとっては、初めての「ゼロイチ」の業務で、しかも再生エネルギーの事業を学びながらでしたので、苦労も絶えなかったですが、人事として大きく成長できたのもこの時期です。 |
四分一:永島さんには12月のプロデューサー講座にご登壇いただくことになっています。今後永島さんはどんな活動をしていきたいとお考えですか? |
永島:今回、人事プロデューサークラブに呼んでいただきましたが、今日現在は私個人も勉強する側になっています。これまでの複数社における事業や人事の経験の中で、強い組織は「学習する組織」だと考えています。その「学習する組織」を構成しているのが「問いの量」と「対話の質」であり、これが強い組織のバロメーターになっていると思っています。 事業を行うとき、人が10人集まって、10人分の成果を出すのか、20人分の成果を出すのか、はたまた5人分の成果しか出ないのか、その成果の大きさを最大化するのが組織開発の原点なのですが、その中心にあるのが「対話」と「問い」だということに、ニトリやレノバでの人事経験の中で気がつきました。 僕も経験があるのですが、事業に従事していると、どうしても対話から逃げたくなる時がある。なぜなら、その方が楽だから。でも、その部分にしっかり、向き合っていくと、組織ケイパビリティをあげることができる。そのような基本的なことができていない組織が日本には多い気がしています。 人的資本経営の中では、エンゲージメントとか自律型組織の構築が重要といわれていますが、そのためにどんなツールを入れても、上下関係や部署間を越えて自由に問いを発することができる「問いの量」を上げつつ、「対話の質」を高めていくことができないと、効果は限定的になってしまう。 このことは、今の日本社会の課題でもあり、そこを改善していくと、色々な人事課題の解決が早く効果的になっていくのではないかという仮説を持っています。このような想いを持って、今年「トイトイ合同会社」を創業しました。社名には、「問い」と「対話」のそれぞれ「トイ」をとってつけています。ちなみに、ドイツ語で「ToiToiToi」は「頑張れ」という意味らしいです(笑)。 現在は、複数社の人事顧問を担当しながら、その観点から制度設計、人材育成、組織開発を支援していく仕組みを体系化していきたいなと考えています。 |
四分一:それはすごく楽しみですね! |
永島:既にいろいろな企業から相談いただいているんですが、経営者は素晴らしいビジョンをお持ちのことが多いです。でも実はそこに落とし穴があったりするんですよね。そのビジョンを具現化するために僕が呼ばれることが多いのですが、僕の質問は「このビジョン、正しいのですか?」「本当にこのビジョンで社会は変わるのですか?」から始まるので、最初は怪訝な顔をされます(笑)。 そういう視点・視野・視座から、コーチング的な意味も含め、いろいろやらせていただいています。今回のように講座に呼んでいただき、皆さんと議論する中で、私の考えもまとまってすごく助かります(笑)。ぜひ、一方的な学びではなく、相互学習ということで、よろしくお願いします。 |
四分一:ありがとうございます。しっかりとした現場でのご経験をお持ちだからこその「視点」をお持ちの永島さんならではの組織作りに非常に興味がわきます。いろいろなお話やお考えをうかがえるのを楽しみにしております。本日はありがとうございました。 |