Personnel Position

人事のすがお

人事インタビュー「人事のすがお」vol.9

  • ダンウェイ株式会社

    代表取締役社長 
    高橋 陽子 様 

    1996年 株式会社ミクニ(東証2部上場)入社 本社総務部所属

    1998年 株式会社ベンチャーセーフネット(現 株式会社VSN)入社 本社総務・人事所属

    2006年 同会社ジャスダック上場

    2010年 ダン社会保険労務士事務所開業(後に、ダンウェイ社会保険労務士事務所へ改名)

    2011年 ダンウェイ株式会社 設立

    障害者を取り巻く大きな社会的課題解決のため、障害者の能力の可視化を行う「シームレス バディ®」(特許取得)を開発し、障害のある子供から大人の就労支援まで切れ目ない支援を実施し、実績を出す。さらにインテル株式会社と協働し、「ICT治具」を開発。

    2016年度日本商工会議所「女性起業家大賞」、2023年度 かわさき起業家オーディション「かわさき起業家優秀賞」受賞。厚生労働省労働政策審議会障害者雇用分科会委員等 公職歴任。

    [ 取材: 2025年7月 ]

  • 人事インタビュー「人事のすがお」vol.9
四分一:高橋さんは、新卒でミクニさんに入られたんですよね?
高橋:はい。ミクニは、二輪やジェットスキー、福祉・介護機器などを扱っている輸送用機器のメーカーで、最初の配属が総務・労務・人事などを行う部署で、給与労務や株主関連の業務も担当していました。

■ 事務局補足 株式会社ミクニ(東証スタンダード市場上場)
https://www.mikuni.co.jp/

その根幹となる研究センターが小田原にあり、役員が常駐する拠点を東京から小田原に移した年でもありました。私は茅ヶ崎に住んでいたこともあり、小田原のセンターで労務や株式関連の業務を担当しつつ、副社長に付いてお仕事をしていました。
四分一:元々バックオフィス系の業務に興味があったんですか?
高橋:そうですね、業界に関わらず「人を支える」ことが好きで、総務とか人事とか、そういう業務にこだわっていたかも知れません。ただ、業務にやりがいを感じ、一生懸命お仕事をしていく中で体調を崩してしまって…。親も心配したこともあって、地元の茅ヶ崎に戻ったんです。
2ヶ月ぐらい茅ヶ崎の地元で総務の仕事をするんですが、これが本当にやりがいがなくて(笑)、ずっと雑巾ばかり縫ってました。「その時代に雑巾?」って、誰もが思うじゃないですか(笑)。女性の上司に「他の仕事を教えてください」って毎日言ってたんですよ。なのにひたすら雑巾を縫う仕事で…。時間があるのでジムに行ったりしてたんですが、あまりのやりがいのなさに悔し泣きをしている日々でした。
そこで、体調も元に戻ったこともあり転職を考えます。その頃まだ求人は「冊子」って時代だったので、就職情報誌を手に取り、見つけたのが「今ならなんでも挑戦できます!」のキャッチコピーに惹かれた株式会社ベンチャーセーフネット(事務局注:後のVSN)でした。
四分一:まだベンチャーセーフネットさんの創業間もない頃ですか?
高橋:そうですね、ベンチャーセーフネットが関口房朗会長の下創業した翌年、1998年5月に入社しました。まだエンジニアもそんなにいなかった頃です。入社した翌年の4月に、「エンジニアの卵を1,300人入社させる」という目標があったんですが、私の最初の仕事は、「日本が初出場となったフランス開催のワールドカップに600~800人の学生を連れて行く」というミッションでした!私も最終面接で、「今ならフランスにタダで行けますが、行きますか?」「はい!行きまーす!」で、入社したみたいな感じでしたから(笑)。当時、浜松町の貿易センタービルに本社を構えていて、その中にオーナー室っていうお部屋があって。私を含めて4人の総務担当が朝最初にやることは、オーナー室の中にあるゴルフの打ちっぱなし練習場で、関口さんが打っていたボールを這いつくばって拾う…という業務でした(笑)。
四分一:その時期、なかなか余所ではできない経験をいろいろされていると思うんですが、特に印象に残ったエピソードはありますか?
高橋:さっきのワールドカップもそうなんですが、みんなで力を合わせれば、無理だと思ったことでも達成できちゃう…ってわかったことですかね。1年足らずで1,300人のエンジニアを集めるという目標を、本当に実現できたり。そうだ、私が入社して2年目の入社式の準備をしている時、あと3ヶ月を切ったぐらいのタイミングで、関口さんがいきなり「入社式で闘牛をやるぞ!」って。
四分一:えっ? 闘牛??
高橋:なんか、思いついちゃったんでしょうね(笑)。それが総務に降りてきたのがもう1月を過ぎた頃でした。でも、絶対にやらないといけない。秘書室と協力して、アメリカからチャーター便で闘牛を20数頭連れてきて、1,300人が入る会場に砂をばーっと敷いて、入社式の後にみんなで闘牛を見る…みたいな。頑張れば3ヶ月で闘牛もできるんだってことがわかりましたね(笑)。
四分一:なるほど、すごい経験ですね
高橋:もう1つは、4月に入社したエンジニア1,300人を8月に約1,000人レイオフしたことです。ベンチャーセーフネットがやっていたのは雇用型派遣ということもあり、総務には一早くそうした情報が上がってくるわけです。びっくりしたけど、やらなきゃいけない。すると次に、管理部門約200人中約100人を解雇するということになって…。「肩たたき」ってこういうことなんだって、目の前で現実に見ることになりました。去る方も残る方もすごくきつい経験をしました。経営者に近い部署にいると、その裏側の情報も入ってくるんです。その1,000人のレイオフの時、経営陣から「判断に1ヶ月の誤差があった」というのを聞いたんです。「たった1ヶ月でこんなことになっちゃうんだ」って、経営の重さや判断の難しさとか、いろんなことを考えさせられましたね。

会社に残った私たちは「もうこんな悲しい想いはしたくない」って、心を新たに頑張ろうとしていたんですが、その後また同じようなことが起こるんです、リーマンショックで。それはもう、大打撃でした。私はちょうど2人目の子の育休明けぐらいの時期だったんですが、育休中も過去のあの辛い想いをしないようにするにはどうすれば良かったのかってずっと考えていて、復帰した日にある提案をしました。それが雇用調整助成金を活用した施策でした。うちは研修センターもあるし、当時は珍しかった教育訓練ということに使えるんじゃないかと。それを復帰明けで初対面の上司に伝えたところ、「おもしろいね!じゃあ厚労省に電話してみて」って言われて。
四分一:いきなり電話したんですか?
高橋:はい、調べてみたら意外とすぐ担当の課長の電話番号がわかっちゃって(笑)。ダメ元で電話してみたら会ってくださることになって(笑)。その結果、エンジニア向けのしっかりした教育訓練を1年間実施し、私はそのプロジェクトリーダーになりました。その時、うちの会社は規模が大きかったこともあり、雇用調整助成金を約17億円使ったんです。2位の会社は数億円だったようで1桁違うみたいな(笑)。全国でも断トツで多かったことが省内で有名になり、役所の人が何人も来て監査がありました。でも、返金が1人か2人分のケアレスミスの1万円ぐらいだったし、求められていた以上の結果が出ていたということもあり、上司から非常に褒められました(笑)。
VSNはその後AKKODiSコンサルティングになりましたが、当時作ったその「エンジニア教育のためのコンテンツ」がもとになってサービスにつながっているようです。今思うと、あの1,000人のレイオフという辛い経験があったからこそ頑張って作ることができたコンテンツでした。
四分一:ベンチャーセーフネットさんでは採用も担当されていたんですか?
高橋:エンジニア採用は別部隊があって、私は入社後の受け入れやフォロー担当でした。実質3人ぐらいで回していたんですが、私は労務関連をメインに担当していました。とにかく人の出入りが多いので、手続きが追い付かない状況で大変でした。
四分一:その流れで社労士の資格を取られたのですね
高橋:はい。社員の入社後や退職の手続きを処理していくうちに、労務系だけでなく制度設計も含め実務経験が身に付いていったことも、次に社労士を目指そうと思ったきっかけになりました。あと、子どもが2人いるんですが、上の子に障害があって、彼が小学校に入る時には今のフルタイムでの働き方ができないと想定すると、資格を取って自宅で仕事ができればと思ったんです。
四分一:そして、ダン社会保険労務士事務所さんを開業されるわけですが、「ダン」にはどういう意味があるんですか?
高橋:最初、私は自宅で開業しようと思っていたんですが、ある時突然「実務経験のある社労士さんと仕事をしたいんです」という電話がかかってきて…。それが高田馬場にある「ダンパートナーズ」というグループでした。

■ 事務局補足 ダンパートナーズ
http://www.dan-tcg.co.jp/

社労士だけでなく、税理士、司法書士なども含め、ワンストップでコンサルティングをやろうというチームで、そこに開業1年目から個人事業主として合流しました。ダンコンサルティング株式会社のTOPの塩見さんは、この業界では40年ぐらい実績のある税理士・経営戦略コンサルタントです。このグループの頭文字となる「ダン」、そこに込められている想いに共感し(事務局注:「DANの由来」http://www.dan-tcg.co.jp/dan_origin.html)、「ダン」を使わせていただいており、ダンウェイは、オリジナルの「ダンデライオンシーズ(たんぽぽの種)」の意味を追加し、この想いが広い地域に、世の中に広がってほしいと想いを込めています。
四分一:ダンパートナーズさんに合流されて、1年ぐらいでダンウェイを設立されるんですね
高橋:2010年の4月にダンパートナーズに合流しダン社労士事務所を開業したのですが、子どもに障害があることもあり、社労士として障害者雇用促進をやりたいと考えるようになりました。それが2011年1月にダンウェイを立ち上げるきっかけです。ありがたいことに、本来なら士業しかジョインできないダンパートナーズさんなのに、いまだにパートナーになっていただいています。
四分一:開業後、最初はどういう事業からスタートされたんですか?
高橋:基本は今やっている事業モデルと変わっていないんですが、「障害者の能力の見える化を軸に、障害者をとりまく社会課題を解決していくこと」が柱としてあります。それには、トレーニングする場所も必要になってくるので、学校のようにトレーニングする場所を作っています。最初は大人の障害者就労支援から始めて、その支援を増やしつつ、途中からお子さんの支援も行っています。
四分一:特に力を入れたことは何ですか?
高橋:障害のある方が18歳から社会に出ると考えた時、18歳を過ぎた方たちの持つ課題は、アンバランスだなと感じた時期がありました。その方たちが支援学校を卒業する、その前の過ごし方がとても大事で、18歳までにどういうことをやってきたかとか、教育のカリキュラムがどうだったかとかに影響を受けることが多くて。その18年間にどういう学習を経てきたかによって、その後の可能性が大きく変わるんだということがわかったんです。じゃあ、18歳になる前のお子さんたちのトレーニングができる施設が欲しいなと。一般的な放課後等デイサービスの事業所は小学生から対象ということもあり、小学校低学年向けのカリキュラムが多いんですが、小学生から大人になる前の間にすぽっと抜けている中高生の時期、そこを中心にした実践的なトレーニングの場となっています。そして、そこで力をつけた子たちの雇用促進から定着支援も行っています。
四分一:障害者の能力の見える化を目指す「シームレス バディ®」、これはダンウェイさんが独自に開発されたものなんですか?
高橋:はい、自社開発です。元々は、18歳以上の障害者のわずか6%しか雇用につながっていなという実態に発想を得ています。障害者雇用というのは、元々戦争の負傷者が働けるようにという歴史が前身にあるんですが、戦後80年経っても大きく変わっていない部分が多くて、やり方を変えないと未来も同じだなど、障害者の親として危機感を感じたのもありました。うちの息子は最重度の知的障害なんですが、じゃあ何ができるんだと考えた時に、社会が「障害のある人の能力を把握できていない」ということに気付きました。周りがなんとなくの主観で「できない」と思ってチャンスを与えていないだけなんですよね。
四分一:それってどんなシーンで?
高橋:これまでお話ししたように、私は元々働く人の制度設計などを担当してきました。エンジニアにはスキルシートとかがあって、その能力を売るわけですよね。ただ、「人が商品」という世界なのに、当時、挨拶もしない(すぐ近くにいるのに、目も合わさずおはようございますもわざわざメールで!)ITのエンジニアが派遣に出れる!(笑)。それなのに障害者が働けないのはなぜ?って。派遣会社の管理部門にいた人間の発想かなとも思うんですが。
四分一:確かに、ベンチャーセーフネットさんでの経験がここにもつながっているんですね!
高橋:それはもう、つながってますね。1人1人の能力に応じた配置を行ったり、目標管理をしたりといった人事評価制度などを作って給与・賞与に反映する仕事をしていたので、それが当たり前だと思っていたのに、この障害者雇用の世界では、ほとんど見たことがなかったんです。そこに大きな違和感を感じました。
四分一:その頃経験した、制度設計や労務の経験が生きてきたんですね
高橋:はい。同時に、障害がある人と一緒に働く側のスキルも上げていかなくてはいけないということにも気付きました。それには、誰が見ても同じ―客観的な指標―をベースに、障害のある方もない方もセットで育成する必要があります。そこに新たな共通言語が生まれ、共通言語を持った業務の可視化につながるんです。ベンチャーセーフネットにいた頃、ちょうど障害者雇用を始めた時期でもあり、実はそこでも少し関わっていたんです。会社が大きくなって自分たちの仕事がどんどん増えていくのに、人が足りないということで、障害者雇用に目を向け特例子会社を立ち上げたりもしました。その時知り合った、障害者育成の師匠がいるんですが、その方の「障害者の育て方」にすごく興味があって、1日中観に行っていました。
四分一:どんな育成方法だったんですか?
高橋:その方は、ニコンの特例子会社を立ち上げた方で、分析型というか、きちんと実績で証明していく手法でした。その結果、どんどん障害者のできることが増えていき、生産性も上がっていくんですね。そこで気付きました。これって本体(ベンチャーセーフネット)でも通用する!って。その後本体でも取り入れていったんです。うちの子に障害があることがわかる前に、そうした経験を積んでいたんですね。
四分一:そのノウハウが「シームレス バディ®」に活かされて、システム化された…と
高橋:ベンチャーセーフネットの頃、社内の基幹システムの開発、それをどう業務に乗せていくかを教えていただいたことがありました。基幹システム構築のプロジェクトに、私も総務労務系の担当として参加していたんですね。エンジニアが沢山いる会社なので、最初はちゃちゃっと簡単に作れるものなのかなと勘違いしていました(笑)。でも、そうじゃないことがわかって、めちゃめちゃエンジニアから怒られて(笑)。そこで、「自分がやってほしいことをフローにして、あなた自身が書き出しなさい」って教えられたんです。でも、「私がそういうのをやってしまったら、エンジニアは何が楽しいんだろう?」って思って聞いたら、「自分は、ユーザーがストレスなく動いていると感じられるシステムを作れることが嬉しいんです」って答えが返ってきました。それが自分のやりがいなんだって。私はプログラムを書けなくてもいい。でも、自分がやりたいことをエンジニアにきちんと伝えること、それを鉛筆でもいいので書き出すことで、私たちユーザーの仕事がやりやすくなり、システムが実際に動く喜びを感じてくれる人がいる。その時のエンジニアの言葉はとても心に残り、今の開発の仕事にも活きています。
四分一:「シームレス バディ®」のこだわりについて教えてください
高橋:ダンウェイ設立約2ヶ月前にインテルの社員の方とご縁がありました。20年後の世界を創るイノベーション事業部の責任者のような方でした。その方が目指す20年先の未来に「ICTの利活用により、障害者の活躍を支援したい」というのがありました。そこでA4の両面1枚で書いた簡単な事業計画書のようなものをお出しして、「それ、うちならできます!」って。そこからインテルさんと協議が始まり、本音でのやり取りをしていく中で、どうしても伝えたかったことがあります。例えば、パソコンって、すごく便利で頭がいいのはわかるんですが、機能やボタンが多すぎると障害者にとっては逆に使いにくいんです。情報量がたくさんあると1つも選べない、という人もいます。そうしたところから開発が進み、障害者ごとにログイン画面がカスタマイズできるというアイディアが生まれました。本当にいいものは口コミで広がっていくという確信があったので、これをもっと進めていこうって。例えば、言葉のやりとりが苦手な人に合わせて数字や色、形などで判別するシステムがあったとしたら、それは言語に左右されないのでグローバル展開ができるんじゃないかとか。
インテルさんからは、このシステムを市場に出してからの戦略も学ばせていただきました。「お客様に商品を育ててもらうことも大事なんだよ。それがユーザー目線の商品なんだ」って。日本人はとかく完璧を求めがちで、完璧にしてから市場に出そうとしますが、商品化してから育てていくのは決して恥ずかしいことじゃないということがわかり、それも今の「シームレス バディ®」の開発に生きていますね。
四分一:高橋さんの行動力と想いが、いろんな人を巻き込み、このシステムを育てていったという経緯がよくわかりました。8月の専門講座では、そのあたり、さらに詳しくお話を聴かせてください。楽しみにしています!今日はありがとうございました。



  • ダンウェイ株式会社 代表取締役社長 高橋 陽子さん

    常にユーザー目線での開発を心がけています(高橋さん)

  • ダンウェイ株式会社 代表取締役社長 高橋 陽子さん

    パワフルさの秘訣はここに?プライベートではボクシングも!